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救援ノート/ 1969.9 1969年安保闘争を戦った者として

救援ノート 編集・安保を戦う婦人連絡会 発行・救援連絡センター

はじめに                               1969年9月

  反戦・反安保のたたかいは、学生・労働者・農民・市民によって、さまざまな形で、急速に、はげしく、くりひろげられています。とくに、1967年の羽田闘争以来、国家権力は、これらのたたかいに対して、催涙性毒ガスの使用、ガス弾の水平狙撃、逮捕後のリンチ、大量の不当逮捕、八か月にもおよぶ長期拘留、分離裁判の強行などおどろくべき弾圧を日々強化しております。また、きわめて市民的なデモに対しても、ジュラルミンの盾をもって規制し、威嚇をもって挑発し、逮捕するという横暴が日常化しています。私たちは、

⒈国家権力による、ただ一人の人民に対する基本的人権の侵害をも、全人民への弾圧であるとみなす。
⒈国家権力による弾圧に対しては、犠牲者の思想的信条・政治的見解のいかんを問わず、これを救援する。

  という救援の基本的立場にに立って、救援活動をもっともっと充実させていくために、より多くの人々に参加していただくために、その手掛かりとなり、心得となるものをまとめてみました。
  この小さなノートによって”私にもできる”自信が生まれ、”私にできる”ことからはじめていくことができればと期待します。

改訂にあたって                       1970年2月

  佐藤訪米阻止闘争に暮れた1969年のたえまない戦いのなかで、弾圧機構(マスコミ操作、町会、既成”革新”組織まで含めての)は、ますます強大で精巧な姿をあらわにし、他方私たちの運動の側も、増刷たびに巻末の救援組織一覧表に新たな名前をかき加えてきました。
  手引きとして作られた『救援ノート』でしたが、いま改訂版を出すにあたって、とくに未成年者の項、救護活動に加筆せなばならなかったということも、初版以来わずか数カ月間における戦いの一層の激化とひろがりを考えさせられます。また、体験記いくつかのさいかえ、部分的果皮地・訂正などいたしました。


むすびにかえて

  4.28沖縄デーに共に立ち上がった私たちは、反安保行動にみずから参加する中で、あるいは息子や娘にかけられた権力の弾圧を見つめる中で、救援活動にとりくみはじめました。主婦として、また学生、労働者として各自のそれぞれの経験の話し合いと学習をつみあげ、この『救援ノート』を発行するはこびになりましたが、私たちはこの過程を通じて、あらためて私たちじしんのおかれている状況の異常な事態を痛感しました。
  思えば、回復された”平和”からはじまったこの24年間の”繁栄”は、安保体制によってささえられていたし、そのことはベトナム戦争が示すように殺りくの共犯者としての繁栄でした。
  私たちは、ふたたび、かつて日本帝国主義がなしたことに、抵抗もせず、従い、共犯者となった歴史をくり返そうとしているのではないかと恐れます。
  基地や物資・兵器の提供によって、ベトナム人民の殺りくに自分達も加担していることを知った青年たちが、これに反対しようとした時は、まったく当然にもベトナム人民に対して使われたいる平気(毒ガス性催涙液等)がそのまま私たちに向けられました。いま、70年安保の完成のかなたを見きわめ、体制変革に立ち上がろうとする者に対しては、機動隊と一体化して自衛隊が治安出動する準備をととのえています。
  為政者に幻想をもつことはできません。
  共犯者から自前の侵略者になろうとする70年アジア核安保を、私たちは許すことはできなし、これをなにがなんでも強行しようとすることから起こるさまざまの弾圧体制に備えて、このパンフレットが役立てられれば幸いです。
  発行にあたって、救援諸グループの研究を参照させていただいたことをお断りし、末尾ながら御礼申しあげます。
   1969年9月   安保を闘う婦人連絡会



  この「救援ノート」には、<付録3>おもな救援会一覧に69の救対が載ってる。
その中には、救援連絡センターごくいりいみおおい」  03‐3591‐1301もある。
  HP http://qc.sanpal.co.jp/

  読みに行っていただければ、不当逮捕者の救援ー支援、弁護活動、だけじゃないことが判る。救援活動を理解するために読みに行ってください。

*本文の引用は冊子から起こしました。誤字脱字などは、私の誤りです。
*引用に対する著作権などについて、確認などしていません。お気づきになり疑義などありましたらご連絡ください。 info@owarano.jp 

記載:2012.11.29

2012年7月15日の高橋源一郎氏のツイート「100ガバス賭けます」

  今日2012年8月22日、官邸で、反原発連合と首相の会談がある。菅直人元首相が同席するみたいだ。

  非正規労働者テントの湯浅氏のように、なんらかの形で反原発連合のメンバーが取り込まれていくように思う。

  まだツイッターを始めた頃で、読むのが精いっぱい。何に反応したり、リツートしたりの意味も判らなかった頃。



  高橋源一郎氏のツイートは1~5。連続して出された。とても印象に残った。

11年7月15日 高橋源一郎 @takagengen
(1)自民党のあいさわ一郎という議員がこんなツイートをしていた。「(菅首相は)市民運動家に戻られています」。なぜ、野党ばかりでなく、与党からも、閣内からも、あるいはメディアからも、執拗に「菅おろし」が行われているのか。そのいちばん大きな理由は、ここにあるとぼくは思っている。

11年7月15日 高橋源一郎 @takagengen
(2)おそらく、3月11日までは、菅直人という人は、「ふつうの政治家」だったのだ。だが、どこかで、(ふつうの政治家としては)「道を踏み外し」てしまったと思う。その結果、彼の出発点だった「市民運動家」に舞い戻ったのである。

11年7月15日 高橋源一郎 @takagengen
(3)たいはんの「ふつうの政治家」たちは、彼らの「流儀」(官僚たちと築き上げた「熟議」の世界)から逸脱することを嫌悪している。それは与野党を問わない。「経産省」と一切相談せず(と新聞に書いてあった)勝手に「脱原発」を唱えることは、「ふつうの政治家」にとって許されない。

11年7月15日 高橋源一郎 @takagengen
(4)幸か不幸か、というか、ありえないことに、この国の中枢に「市民運動家」がまぎれこんでしまった。ずっと前、ある自民党の政治家に「市民運動家がそのまま議員になったら?」と訊ねたら「そりゃ、革命家だよ」といわれた。なるほど、みんながよってたかって、ひきずりおろそうとするわけだよね。

11年7月15日 高橋源一郎 @takagengen
(5)少なくとも、「菅首相」の次の首相が誰だろうと、「原発のない社会を目指すことは理想でございますが、そのための手順については、わが国の経済活動に支障がないよう、十分に議論することが必要かと思われます」というに違いない、ということに100ガバス賭けます。

とツイートされた。
1年を経て、文脈も、そもそもの意味も離れているだろう。しかし、主意は外れていないと思うので、私の要約。ここから、

国会には市民運動家=革命家は、いらない。「菅首相」の次の首相が誰だろうと、「原発のない社会を目指すことは理想でございますが、そのための手順については、わが国の経済活動に支障がないよう、十分に議論することが必要かと思われます」、この二点がキーになるだろう。
  なんともデスパレートな反原発首都圏連合なこと、自ら招いたこととは云え、崖っぷちだな。
  だけど、人々は、そんなの平気で乗りこえていくものだ。

 100ガバスは誰のもの?高橋源一郎氏、当たり!経済活動に支障がないように、受け入れる人々と、その経済活動そのものを問う人々に分裂していくだろう。





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プロフィール

Author:owarano
このあたりは昔、大原野(おわらの)と呼ばれる雑木林でした。
少し残った雑木林はずれ、農園を営んでいる。

母が送ってきたんですよオ!
子供に送る野菜は、畑からの宅配便
少しずつ小ぶり 冷蔵庫に収まって 料理は簡単
安心・安全、有機・無農薬、エコロジー、どのこが欲しいと、三日間も繰り返されて、
すっかり汚れてしまった言葉たち。
この野菜を食べても、エコポイントはつかない。

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